日刊知的ぐうたら生活

ボーカリストSCHAZZIEのブログ

学生メシ

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学生時代によく行った、庶民派洋食店・バンビの「ドカン焼」を作ってみました。だいたい学生街にあるチェーン店です。

写真は豚肉と玉ねぎのスパゲティに見えますが、スパゲティとして食べるのではなく、あくまでもご飯のおかずです。濃いめのニンニク醤油が、まさにご飯に合う!

豚肉とニンニクと玉ねぎでビタミンB群がしっかり摂れるから、疲れや風邪にも効果があるし、炭水化物×炭水化物で、脳に必要な糖質がたっぷり摂取できるから、学生さん達にはもってこいのメニュー。頭を使わないオバサンには、単なるデブのもと。

炭水化物×炭水化物は毒だよねーと思いながらも、これはご飯と一緒に食べるのが正しい食べ方で、それが一番美味しいんです。逆にご飯がないと物足りない。正式には「ドカン鉄板焼」と言って、店では鉄板で出て来るので、アツアツで食べられます。

ちなみにドカン焼の「ドカン」は、スパゲティを「土管」に見立てたからと店の人に聞いたことがあります。ボリューミーでハイカロリーの「ドカン!」という意味ではなかった。

父の命日

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【10月15日】

今日は父の命日。例によってコロナで、私はお墓参りにも行けませんでしたが、先日、長男夫婦がお参りに行ってくれたようです。

その時に実家に行ったら、建物の解体も進んでおり、今月中には終わるだろうとのことでした。この目で見なければ実感も湧きませんが、祖父が建て、父が継ぎ、そして私が産まれた家が、もうすぐなくなるんだなあと思うと、切実に寂しい思い。

写真は父と愛犬ちびた。実家の仏壇に飾ってありました。父が亡くなった年の春に、ちびたが亡くなりました。主人の後を追って飼い犬が死んだという話はよく聞きますが、うちはその反対。父の落胆がいかほどであったか。

祖父が鉄砲で猟をするのが趣味だったので、家には物心ついた時からポインターとかセッターだとかの猟犬がいました。犬と遊んだ記憶は全然ないのだけれど、家に犬がいるのは当たり前の風景だったのです。

しかし祖父も亡くなり、自分達も大人になって、しばらく犬を飼っていなかったのですが、一時期東京から実家に戻っていた私に、寂しいだろうと友人が産まれたばかりのちびたを連れて来てくれました。

私が貰ったのに、犬には家の主が分かるらしく、最後は父に一番懐いており、「犬は犬小屋で飼え!」と厳しかった父も、とうとう同じ部屋で寝るほどに。

雑種だけれど、とても利口な犬でした。犬の驚くべき能力について、ここにはあえて書きませんが、老齢で病気もあったちびたが、もう長くはないというので会いに帰った時、尻尾を振りながら、立たなくなった脚で一生懸命に立とうとする姿に、何時間も涙が止まりませんでした。

思い出して書いている今も、涙が溢れて来ます。最後は父の目の前で声を振り絞って母を呼び、父と母に見守られ、母の腕の中で安心したように息を引き取ったそうです。

以来、動物は飼っていません。その時の悲しみがいまだに癒えていないし、もう二度とそういう辛い思いをしたくないという気持ちだからです。私には耐えられないと思います。

父の命日なのに犬の話になってしまいましたが、正直、ちびたの命日は覚えていないのです。父と同じ年に死んだということで、父の命日とちびたの命日が合わさり、セットになっているのです。父にも異存はないでしょう。

家がなくなろうが、物がなくなろうが、父もちびたも心の中で生きています。本当の事を言えば、もう27年も経つのに、いまだに居なくなったとは思えずにいます。覚えている限り、ずっと私の心の中で生き続けると信じています。

『鬼平犯科帳』コンプリート

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残りあと1冊で悲しい!と嘆いていた『鬼平犯科帳』。10/3に遂に24冊全巻読み終えてしまいました。読み終えたら、感想文にあれも書こう、これも書こうと思っていたのに、いざ終わってしまったら、何も書けずに日が過ぎてしまいました。

文春文庫のあとがきには、植草甚一常盤新平栗本薫などなど、錚々たるメンバーの鬼平ファンが思いのたけを寄せているから、時代小説を読み始めて間もない私が、今更感想を書くのもおこがましいのだけれど、それにしても何を書いても物足りない、書けば書くほど虚しくなる。だって、最後は長篇なんだけど、これから!というところで

《作者逝去のため未完》

って、唖然として言葉が見つからなかった。

もちろん、作者の池波正太郎氏が亡くなっていることは分かっているけど、ここで!?という感じ。鬼平の終わり方はどんなんだろう?感動して泣くかもなどと、あれこれ巡らせていた思いの糸が、プツン!と音を立てて切れました。

最後の物語は、個人的に気になっていた尾行の達人、同心・松永弥四郎が活躍しそうな話だったので楽しみに読んでいたのに、それも志なかばで夢破れたりな感じだし、何より盗賊一味に誘拐されたおまさはどうなったのか?

《作者逝去のため未完》

神様、これはあまりに酷です(号泣)。

残りあと1冊という時にも、終わってしまうのが残念で仕方がない旨を書いたけれど、残念も何もそういう終わり方だとは思ってもいませんでした。

元々、D・H ロレンスのような「生活の一部を切り取ってそのまま投げ出したような」(サマセット・モーム曰く)作品は苦手で、それこそサマセット・モームが書くような起承転結のはっきりした物語が好きな私にとって、『鬼平犯科帳』はまさに大当たり。そこに粋と人情と温かさが加われば、苦手だとか嫌いだとか言う方が難しい。

奇しくも、弟が亡くなる前日から読み始めた『鬼平犯科帳』。その後の誰にも話せない、またコロナで誰に話す機会もなかった、悲しみを越えた諦めの気持ちを、鬼平の温かい心配りの数々に一日また一日と慰められました。

直接言葉をかけられたわけでもないのに、現実には期待するべくもない人の情け、温かさに、心底救われたと言っても過言ではありません。鬼平なら、きっとこう言ってくれるだろうと想像するだけで、心が安らぎました。それがあったから生きて来れた。心の叫びは、全て鬼平が受け止めてくれたように感じます。

もちろん小説はフィクションだから、こんな人が現実にいるかどうかははなはだ疑問ですが、鬼平のように人を救える、あるいは人の「心」を救える人間になりたいと思うようになったのは、自分にとって良い事だったと思います。どんな道徳の教科書よりも勉強になりました。この読書体験は、今更ながらに私の人生を変えるかもしれないと思います。

というわけで、鬼平への思いは到底書き切れないのだけれど、最後に、そう思えるような鬼平を描いてくれた池波正太郎氏に、最大限の感謝の気持ちを贈りたいと思います。また、時代小説の扉を開いて下さった作家の芦川淳一さんにも、心よりお礼を申し上げます。

後悔先に立たず

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昨日IKEAで、お気に入りのヘーゼルナッツチョコレートを買って来たんだけど、以前は90円くらいだったのに、120円に値上がってた。100円もしないってのも魅力だったんだけどな。

で、夜中に目が冴えて眠れずにいたところ、ひと欠片だけヘーゼルナッツチョコレートが食べたいと思い始めてしまい、禁断の夜中のスイーツタイム。

それが地獄の入口。そもそもひと欠片で済むわけがない。ひと欠片がふた欠片、ふた欠片が・・・とうとう一枚全部食べてしまった。549kcal。あーあ。

夜中に食べると、なんでこんなに美味しいんだろうねー。朝の体重測定が恐ろしい。後悔先に立たず。