日刊知的ぐうたら生活

ボーカリストSCHAZZIEのブログ

一人祝杯

以前から、安倍が辞任するという悲願が叶ったら祝杯をあげようと思っていた。


家には政治について語る人もいないし、悲願が叶ったことを喜び合う人もいないから、とにかく一人で祝杯をあげている。


病気を揶揄するなとか、病気なのに可哀想とか言っている人がいるが、病気を揶揄しているわけでない。病気であろうがなかろうが、積み重ねてきた安倍の悪業は忘れてはいけない。その意味で心底辞任を望んでいたから、辞任した事についての祝杯だ。


病気持ちである事は本当かもしれないが、アベノジニン劇、私には胡散臭く感じられる。病気にかこつけて同情を誘い、病気なのに批判するなんて人でなしだとする風潮に世論を誘導し、数々の悪業に対する批判さえしにくい雰囲気に持って行く。周囲の閣僚も含め、可哀想な難病の人を演じた。


病気で可哀想と思う人は案外多く、上手くやったものだなとむしろ感心するが、父親の安倍晋太郎が「晋三はこと仮病に関しては全力で演じた」と言っていた言葉も脳裏をよぎる。


嘘ばかりの政権だったから、病気の事だけ信じろという方が無理。隠蔽、改ざん、もう嘘ばかりで何が本当か分からない。人の良い皆さんが騙されているのか?私が疑り深いのか?


辞任したから、あるいは難病だからといって罪が消えるわけではないのよ。これからしっかり追求して貰わないと。病気だから可哀想などと言っている人達は、安倍が犯した悪業の数々をどう思っているのかな。人まで死んでいるのに、そっちは可哀想ではないのかな。


病気で可哀想と思う人の良い国民は、それで悪業を忘れてくれるだろうという算段かもしれないが、本当に病気だとしたら、なにも無理をする事はないわけで、辛いなら国会議員もお辞め下さい。ゆっくり養生すればいい。塀の中で。


ま、とにかく今夜は私の悲願が叶ったという事で、祝杯をあげさせて貰います。