日刊知的ぐうたら生活

ボーカリストSCHAZZIEのブログ

90歳のサラ・コナー

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【母の日】

今日は母の日ですが、母がいる施設に問い合わせたら、コロナの事があるので何もしないで下さいという事だったので、物心ついて母の日を認識して以来、初めて何もしてあげる事ができませんでした。

先日、血圧が高くて往診してもらったらしいですが、とりあえずは元気でいるようです。写真は施設が決まるまで、しばらく私の家にいた時に撮った写真。日射しが眩しいのでサングラスをかけた、90歳のサラ・コナーです。

さて、実家の弟が急逝してから早くも2ヶ月が経ちましたが、いまだに弟の死を知らせる警察からの電話を一言一句忘れることが出来ず、それがずーっと頭の中で反響していて、今でもつい昨日の事のように思います。

緊急事態宣言が出た為、ウィルスを運んではいけないからと四十九日の法要にも行けなかったし(地方から見ると東京都民自体がウィルスのようなもの)、もちろん母にもずっと会えていません。

コロナ禍の状況でも、実家を整理しなければならないので、事務的な手続きや片付けなど千葉の長男夫妻が頑張ってやってくれていますが、私が行かないと進まない事もあり、先日車で送り迎えしてもらって、久しぶりに実家に帰りました。その際に納骨が済んだお墓にお参りもして来ました。

実家は見た目何も変わっていないのに、状況は大きく変わっているわけで、手続きなど全てが終わったら、実家は消滅します。形ある物は全て滅びると思えば、致し方ありません。

実家で、母が好きで集めた着物やアクセサリーなどを整理していて、非常に悲しくなりました。本人がいなくなったら、こういう物は捨てられるか、または売っても二束三文。弟の本やDVDのコレクションなどもそうです。物を買い集める事の虚しさを痛いほど感じた次第。

昔のユダヤ人は常に迫害されていたので、いつでも逃げられるように大事な事は全て頭の中に入れて、物は極力持たなかったそうです。現在、迫害とかの状況ではないにしても、どんなに高価な物でもいずれはゴミになってしまうのだから、考え方としてユダヤ人は正しいと思いました。

お金で買えないこと、あるいは目に映る美しい物、感動した事や思い出など、自分の頭の中にしまっておけばいい話です。自分には手が出ない高価な物でも、頭の中には入れられます。忘れたら忘れたで、それだけの価値しかなかったのでしょうし、病気で忘れていくのもまた運命でしょう。

冥王星探査機ニューホライズンズに私の名前を搭載した時、家族の名前も一緒に搭載して貰いました。もちろん弟の名前も。ニューホライズンズは不測の事態がない限り、永遠に宇宙を飛び続けます。そこに搭載された名前も同様。

頭の中の記憶とはまた違いますが、個々の名前に個々の魂が宿るという考えから、この世に家やお墓が残らなくても、家族には広大な宇宙のどこかでいつか会えると思っています。弟との別れの時にも、また宇宙で会おうねと約束しました。

まさにファンタジーですが、江戸川乱歩の言葉を借りれば、「現し世は夢、夢こそまこと」というわけです。いずれ壊れる「物」には執着しない。その代わり、できるだけ良い「気持ち」や「感覚」を大事にして、そういう事をできるだけ記憶に留めて行きたいと思う今日この頃です。