日刊知的ぐうたら生活

ボーカリストSCHAZZIEのブログ

新型コロナにまつわる事─私の場合

昨日は、3月4日に心筋梗塞で急逝した弟の四十九日、今日は納骨でしたが、新型コロナによる緊急事態宣言で行く事ができませんでした。

不要不急ではないと思うけれど、今この時、東京から電車やバスに乗り継いで地方に行くのは殺人行為だと思ったから、心で泣きながら長男夫婦に任せ、行かない決心をしました。昨日の暴風雨は、弟の涙雨だったかと。号泣だった。

しかし、もう東京都民自体がウィルスだと思われている。私自身もそう思う。それくらいに考えて気を遣わなければならないと思っています。

母を預けた介護施設でも、早くから面会禁止でしたが、緊急事態宣言により業務停止になりました。デイサービスやショートステイは停止とのことで、現在入所している人はそのまま預かってくれるそうなのでとりあえず安堵しましたが、しばらく会う事もできないし、建物自体に全く入れないので様子も分からないから、姥捨山にでも捨ててしまったような感覚にとらわれ、何もしてあげられない事にひどく罪悪感を感じる毎日。会えるようになった時には、もう顔も分からないのではないかと思うと、胸が潰れそうです。

冬服しか持たせていないので、せめて春の服でも揃えておこうかと、少し前から準備していますが、届けることもままなりません。施設から許しが出れば、すぐにでも送ってあげたい。

今現在、大変な思いをしている人は職種を問わずたくさんいると思うけれど、あくまでも私の場合、弟が急逝した悲しみや、母を施設に預けなければならなかった罪悪感などで、平静ではいられない日々。その上にコロナに対する不安。私の代わりに山ほどの用事をこなしてくれている長男夫婦の身体も心配。自分が何もできない事が、ただただ申し訳ない気持ちです。

だから、楽しい事だとか癒しだとかには興味も湧かないし、そんな事はもう虚しいだけ。自分はミュージシャンだけど、音楽もいらない。こんな精神状態では音楽を聴く気にもならないし、ましてや自分で歌など歌えない。今はできるだけ悲しみや苦悩を感じたくないから、感覚を極力シャットアウトしている。自分が楽しむなんて気持ちの余裕はない状況。

そんな生活を送っている中、怒りを感じる事で心の均衡を保っている感じです。毎日ニュースを見て、政府の対応に怒ってバカヤロー!と思う事で、悲しみや苦悩が緩和されているような気がします。もちろん、怒りを感じる事がないような政府であることが望ましいのだけれど。

政府の対応に関する批判に対して、中には批判するなとか、文句を言うなとか言う人がいますが、何か一見素晴らしい事を言っているように見えるけれど、私にはそれって北朝鮮か!としか思えません。

民主主義でダメな政治を批判するのは当たり前、極めて健全な行動だと思う。声を上げる自由もあるし、声を上げなければ良い社会にはならない。緊急事態に声を上げずにどうする?事なかれ主義が一番良くないと、少なくとも私は思います。

みんなで力を合わせ、ひとつになって頑張りましょうと言うのも、今回は違うと思います。それって、かけっこで皆で一緒にゴールしようという教育の結果なのでしょうか?今回は、そうやって力を合わせて頑張って何とかなる場合じゃないと思います。ラグビーの「One Team」とは状況が違う。

大事なのは一人一人が我慢しなければならないことを、想像力を持って理解し行動すること。力を合わせるとかって話じゃないんじゃないかな?一人一人の理解と行動によって感染も減り、そうすれば医療従事者も楽になるし、ひいては事態の収束にも繋がると思う。

なのに、自粛疲れだとか何とか言ってチューリップを見に行ったり、他県にパチンコに行ったり、感染者が少ないから安心とか自己中心的な事を言って医療設備の少ない島に行ったり、日本全国が緊急事態だという危機意識のない人にはあきれ果てるばかり。

疲れてるのはあなた達じゃない。外出を自粛しろと言われても、家にいたくてもいられない医療従事者や、配送業者や、スーパーやドラッグストアなどなど、私達の生活を支える様々な職種の人達が、感染の危険に怯えながらも私達の為に働いてくれている事を考えたら、自粛疲れなんて何を言っているんだ?と思います。

安倍首相のように家で紅茶飲みながらダラダラしていてもいいんだから、なぜ自粛できないかな?自分は大丈夫!じゃなくて、自分がウィルスを運んでしまう事をどうして考えられないのかな?退屈なんてわがまま病です。家でできることはたくさんある。自分が自粛することで、人の命を助けることができる、大変な思いをしている人を助けることができると思って欲しい。それが今回における協力ということでしょう。

これは亡き父の受け売りで、今回の自粛のことだけではなく、人生の全てにおいて言える事だけど、人間、一人で遊ぶことができなければダメだって。もちろん助け合いは大事。困っている人を助けることは、いつだって素晴らしいことだと思う。でも、まずは自分が人に迷惑をかけずに一人で遊ぶことを、この機会に学んで欲しいと思う今日この頃です。